アトリエ−M   安井曾太郎における 肖像画について



 安井曾太郎(1888〜1955年)は、若い頃浅井忠の画塾で学び、1907年〜14年間パリに留学する。
            セザンヌが亡くなって間もない頃で影響を受ける帰国後数年間画風を確立するまで
            苦闘するが人物画、風景画、静物画において具象画の安井様式を確固たるものにする。

       
              肖像画
について以下のように言っている


 肖像画といって別扱いにするのは異論があるかもしれないが、しかし他の人物とちがって、ある人の肖像であれば充分その人があらわれているのがいいと思う。似ていなくても芸術的であればいいという説もあるが、しかし似ていて芸術として立派であればいっそう良いではないか。そこに肖像画の面白さも苦心もあると思います。絵を描くにはできるだけ自由であることにこしたことはないが束縛もまた面白い。その面白さが肖像画にもあると思います。
 僕はこの束縛の中でできるだけ写真的でなく、その人を充分絵画的に表したいと苦心します。画面上の苦心はどの絵画でも同じだが、それ以上にあいての人を表現する苦心が加わるわけです。そして顔ばかりが肖像ではありません。からだも肖像です。

       -”美術手帖” 1952年より

 肖像画では、その肖像主の性格や、習慣的な動作などの表現に最も適したポーズを見つけることが、大切であって、よきポーズと、よき背景とを得ば、その絵は成功であると言ってもよいくらいである。だからポーズにはかなり苦労するし、背景にも随分苦労する。 背景の関係によって、前の人物も生かされるのであるから、前の人物よりも、背景の方がむしろむつかしいかも知れない。 また肖像画では、手の扱い方が、なかなか困難である。手がよき位置によく描かれた時は、画面を引き締める事に役立つばかりでなく、その人物全体を、生き生きさすのであるが、反対にそれがその所を得ない場合は、全く邪魔になる。手というものも、実にむつかしものだといつも思う。 自分は作画に相当時間のかかる方であるが、これまでの肖像主はみな、美術に理解のある人々であって、長い間快くポーズして くださったので、思うだけ充分に、制作の出来たことは、誠に幸いであった。自分はそれ等の方々にその事を深く感謝している。

       -”造形美術” 1940年より      


    肖像画の代表作

   ・女の顔     (1912年制作)
   
・足を洗う女  (1913年制作)
   
・黒き髪の女  (1924年制作)
   ・婦人像    (1930年制作)
   
・金蓉       (1934年制作)
   
・玉虫先生像   (1934年制作)
   
・深井英五氏像 (1937年制作)
   
・F婦人像     (1939年制作)
   
・大観先生像   (1946年制作)
   ・孫      (1950年制作)
   ・画室にて (1951年制作)
   ・立像    (1952年制作)


 --------------- 安井曾太郎のリアリズム --------------------------------
自分はあるものを、あるが儘に現わしたい。迫真的なものを描きたい。本当の自然そのものを
カンヴァスにはりつけたい。樹を描くとしたら風が吹けば木の葉の音のする木を描きたいし、歩く
ことの出来る道路を描きたい。自動車が通っている道をかくのだったら、自動車の通る道をかき
たい。人の住むことの出来る家、触れれば冷い川、湖水の深さまでも現わしたい。人ならば、話
し、動き、生活する人を描きたい。その人の性格、場合によっては職業までも充分現したい・・・
 
   -”美術新論”  1933年より

   作品群